自己受容、マインドフルネス、本当の自分。第十二章。

皆様こんばんは津流雅希です。昼間はまだまだ夏の名残りが残っていますが、朝晩はすっかり秋めいてきましたね。暑さ寒さも彼岸までと昔から言いますが、温暖化が叫ばれてる今でもこの言葉がしっかりと生きてるんですね。(苦笑)

さて、津流雅希の気まぐれブログ更新も第十二章になりました。前回、マインドフルネスにて隠された能力開花?と人間誰しも秘めている特殊能力、それを表に出すには自分を信じる自己受容が大事だと書かせていただきました。自分を信じる難しさは私自ら体験しました。ではなぜ人は自信を失い、自分を責めてしまうのか。今日は人格形成についてお話致します。

そもそも人は生まれた時は価値観や先入観等全くありません。生まれてまず形成されるのは本能、つまり自己です。自己は誰しも同じ生きていく為の基本行動です。そこから小学生卒業までに仮の自我が形成されていきます。仮の自我とは周りの目上の方の自我を借りてる状態、よく小学生が知らない人に挨拶しますが、あれは親や先生から挨拶しなさいと言われているからです。そこで言われた事が鮮明に覚えている方も多いのでは無いでしょうか?

そして中学生になると、それまで言う事聞いていた子供がいきなり反抗的になります。よく言う反抗期というものですが、実はこれ正常で人格形成には欠かせないものなんです。今まで親や先生方の自我を借りていた子供が中学生になり大人の階段をのぼり始める、つまり自分の自我を形成する段階なんです。もしそこで無理に押さえ付けてしまうと自我が正常に形成されなかったり、ねじ曲がってしまいます。だからなるべく温かい目で自然に任せた方がいいかもしれませんね。人により形成時期はマチマチですが、自我は二十歳までに作られるみたいです。

そして自我が形成されて次は超自我というものが形成されます。超自我とは分かりやすく言えば自我を見張る監督官、自我は超自我に伺いをかけて良いか悪いかを判断していきます。超自我は人にもよりますが、だいたい二十歳から形成されるようです。この超自我のお陰で普通に生活したり、規則を守ったり、仕事できたりするんですが、しかしこの超自我はちょっと打たれ弱いところがあるらしく、失敗を重ねたり深い悩みがあると自我が監督官である超自我を責めてしまい、それが度が過ぎ一線を越えてしまうと超自我が萎縮してしまい、最後は崩壊してしまうらしいです。超自我を失った自我は暴走し始め、悪い自我が形成されてしまうと人格崩壊してしまいます。ここまで行くと最悪ですが、ここまで行かずとも自分を責め過ぎてしまうのは超自我の崩壊を招き兼ねないので、やはり自分を責めるのは良くないと思いますね。

私は今、自己受容をする為に日々勉強しています。自己受容すると自分を責めないので自我も安定します。そして余裕が生まれ物事が上手くいくのです。

そして、マインドフルネス(瞑想)をする事で自己受容に近付いていきます。

次回は私が自己受容やマインドフルネス(瞑想)を始めてから間もなく半年になるので、その経過を書きたいと思います。

この章も読んでいただきありがとうございました。

0コメント

  • 1000 / 1000